若松今昔ものがたり -第1話-
「東京都美術館を寄付した佐藤慶太郎」 商才豊か、無欲の若松の石炭商
「時事新報」を読んで
東京の上野公園の中に「東京都美術館」がある。この建設費用は若松のある石炭商が一人で寄付したということをご存じだろうか。その人物とは佐藤慶太郎。若松の高塔山入り口の佐藤公園を寄付した方としてならご存じかもしれない。
大正十(一九二一)年三月十七日の朝、佐藤氏は東京の旅館水明館で時事新報の社説を読んでいた。「東京のような大都市に常設美術館がないのは問題だ。百万円ほどあれば建設できる。だれか心ある人はいないものか」というような内容であった。何と佐藤氏はこの記事を見た直後に東京府知事に電話をかけた。直ちに百万円を寄付するというのだ。当時の百万円は今のお金でどれほどの価値になるのかといえば、新聞一部が四銭の時代であったので、それからすると二十億円以上の大金だ。
しかし、佐藤氏は「私は学者でも政治家でもない。私にできることはまじめに働いて得た浄財を、世のため人のためにささげるという金銭奉仕」と淡々と語って百万円を寄贈した。また東京都から「美術館の名前は何にしましょうか」と尋ねられても「何でっちゃよかー」(何でもかまわない)と答えたそうである。
ゆえに美術館の名前に「佐藤」の文字は残らなかった。
名誉欲なし
本当に名誉欲のない素晴らしい人であった。私の祖父岸田牛五郎は、当時佐藤商会関連のみどり炭坑の坑長をしており、佐藤氏と親しくしていた。佐藤氏は私の祖父に「美術館に百万円寄付することに決めた」と話した。祖父も「それは素晴らしいことだ」と即座に答えたと聞いている。しかし若松では「なぜ東京都に百万円も寄付するのか。若松市にしてくれればよかったのに」という声もかなり聞かれたようだ。
祖父から「佐藤氏のように素晴らしい事業家であり、文化人であれ」とよく聞かされた。彼がいかにすぐれた事業家であったかを示すエピソードがある。
短所を長所に
佐藤商会が取り扱っていた嘉穂郡大隈炭は五層炭で品質があまりよくなかった、というのは火のもちがよくなかった。そこで佐藤氏は大隈炭を売りひろめる適当な販路はないかと思案。思いついたのが捕鯨船であった。捕鯨船はクジラを見つけると、全速力で追いかける。大隈炭は火もちはよくないが、一時にパッともえて火力が出るのでちょうどいい、というわけだ。予想通り、捕鯨船は争って大隈炭を買い求めた。もうその時には左藤商会は五層炭を買い占めていたのである。
また佐藤氏は晩年別府に移り住んだ。そして別府の著名な甲状腺専門の野口病院を寄贈している。私も先日この病院を訪れたが、玄関には「この病院は佐藤慶太郎氏の好意により建てられた」と書かれた銅板プレートがはめ込まれていた。
若松の人なら「佐藤公園」で一度は桜の花見をしたことがあるだろう。佐藤家の屋敷跡で、この公園の中には以前「佐藤クラブ」があり、市民は公民館のように自由に使っていた。私も結婚式の披露宴をここで行った。今は公園だげが佐藤公園という名でかろうじて残されている。
佐藤慶太郎という素晴らしい人間を若松が生んだことを誇りに思い、忘れてはならない。そして東京に行った折には、ぜひ東京都美術館を訪れ、同郷若松人の崇高な行為に思いをはせてほしい。

