HOME > 芳野病院について > 歴史

芳野病院の歴史

トータルな医療福祉サービスを通じて地域に奉仕いたします。

 大正2(1913)年11月、若松市明治町(当時)に芳野三郎が芳野医院開業。昭和30年に芳野敏章が引継ぎ、「地域に奉仕」を病院の理念とし、100年近くにわたり地域医療活動を行ってきました。
 平成9年9月、芳野元に院長交代。そして平成15年8月、医療法人寿芳会を設立し新たなスタートをきりました。現在地域に密着した医療や介護を提供しています。

大正2年開業時(右=芳野三郎) 大正時代の手術風景 昭和初期の外来
大正2年開業時の写真   大正時代の手術風景の写真   昭和初期の外来の写真
昭和30年代(芳野敏章) 昭和42年頃 平成12年3月
昭和30年代(芳野敏章)の写真   昭和42年頃の写真   平成12年3月の写真
平成15年8月(増築棟屋上庭園) 平成15年8月(正面玄関) 平成15年8月(正面玄関)
平成15年8月(増築棟屋上庭園)の写真   平成15年8月(正面玄関)の写真    

若松今昔ものがたり~懐かしき日々の輪舞曲~

前院長芳野敏章が平成8年11月に出版した本です。 西日本新聞に長期にわたり連載されたものを一冊の本にまとめたものです。
NHKニュースシャトル北九州でも紹介され、発売週には小倉ナガリ書店にて9位のベストセラーとなり、2,300冊程発行いたしました。
 この本の中から少しずつ地元若松にまつわるお話を紹介していきます。

第1話
「東京都美術館を寄付した佐藤慶太郎」
商才豊か、無欲の若松の石炭商
第2話
「ハイカラ」 日本で三番目の火災報知機
上水道は九州で二番目
第3話
「政友会と民政党」 市民二分しての対立
日本郵船事件に発展
若松今昔物語イメージ

探しています!

当院に、洞海湾風景を描いた日本画があります。初代院長芳野三郎が残した物で、船上生活者の暮らし、石炭荷役、若松築港会社のしゅんせつ船「第二筑前丸」、伝馬船が描かれて皿倉山が背景になった百号ぐらいの作品です。もともとは4枚組の作品で中央2枚が以下の絵といわれており、両端がないのでサインも無く、作者がはっきりしません。芸術院会員菊池契月画伯の作品ではないかと推測する人もいますが、確証を得ることは出来ず、現在もなぞのままとなっております。
もし、このページをご覧になった方でこの絵の作者を知っている又、残りの絵のことを知っている等心当たりのある方は、院長までご一報くだされば幸いです。

洞海湾風景01 洞海湾風景02

ページの先頭に戻る

Copyright(C) YOSHINO HOSPITAL. All rights reserved.